

| 2002.May.13 18:00〜お印も陣痛もこないまま、地元の一般ケニア人はかかれないプライベートのナイロビホスピ タルに、夕食を終えてから、彼、ママ、アグネスに付き添われて入院する。普通のマタニティー の病棟ではなくて、陣痛室と分娩室のある病棟だ。早速、掃除婦かと思うような人が色々聞いて きて、カルテに記入している。助産婦さんだった・・・こりゃぁ、失礼! 食事の伝票も渡された。 噂には聞いていたが、サラダや付け合せの種類、メインの肉や魚(ベジタリアンの人は、野菜)、 デザートの種類など、3択くらいで選ぶのだ。ワクワクしてしまう。 朝食も、卵の焼き方、バターやジャム、どんなシリアルにするかなどが、選べて 「毎日違うのを食べてみよう!!」と、これから出産に挑むことを忘れて、楽しい気分になってし まった・・。そんな気分に浸る暇もなく、なんともラブリーな袖がフリフリになったネグリジェを持っ て看護学生がやってきて、パンツまで脱げという。着替えるんだから、どこかへ行ってくれりゃぁ いいのに、そばを離れる気配もない。まぁ、これからあんなところも、こんなところも見られてしま うのだから、着替えくらいで恥ずかしがっていてはいけないのだろう。 パンツでもなんでも、脱いでやるよ。これで、どうだ!! 18:30〜ラブリーなネグリジェのあとは、薬だ。 かつてから、ゴリラに錠剤だといわれていたので、私 は、てっきり飲み薬かと思っていたのに、なんと下から子宮口付近に薬を挿入するというじゃ ないか。そういや、「from down there」と、言っていた気がしないでもない。(ちゃんと聞け!) まぁ、そんなに痛くないだろうと、たかをくくっていたが、その瞬間飛び上がった。まずは内診だ といって、私は妊娠後初めて、内診というものをされた・・・・逃げるなって言われたって、痛い んだから体が自然とベッドの上の方に、ずれていってしまう。 そして、私の右手は助産婦を叩く準備までしてしまっていた・・・ あと30秒やられたら、叩いていたに違いない。痛みを感じたときには、やはり日本 人だから、自然と「いたいっ!!」と言葉を走ってしまうが、そんなことを言っても通じない。 英語で言うべきか、スワヒリ語で言うべきか、痛いっていうのに、頭の中では言葉を選択して いる。しかし、あんな拷問みたいなことを、日本では何回もされるんでしょう? たまらないよぅ〜(泣) 今まで、内診をされなかったこのケニアにいてよかったと思えてくる。 この時点で、子宮口は完全に閉じていた。 そして、‘剃毛’。下の毛を剃ると言い出す。あぁ、どうぞ、どうぞ、好きなように剃ってちょうだ いな。ケニア人の毛は、髪の毛と同様に、色んな場所の毛が、クルクルカールしていて短いけ ど、日本人の毛は、ストレートで、かつてが違うから邪魔なようだ。 初めてやられた剃毛は、日本みたいなかみそりではなくて、スケ番(死語だろ)が、指の間には さんでかつあげするようなかみそりの刃だけを使っていた。そして、結構ジョリジョリと、痛いも のだった。今まで、丸刈りにした患者さん、ごめんなさぁ〜〜い。そして、医者よりも先に執刀して しまった患者さん、本当にごめんなさぁ〜〜〜い。m(._.)m みんな私の元から帰ってしまい、私は本日2度目の夕食を食べる。もう生まれるのだから、 体重増加も気にしなくていいだろう。ケニア風魚料理とクッキングバナナの付け合せ、フルーツ サラダ、パンを一人淋しく摂取。 薬も入れたし、一体いつ痛みが襲うのだろう? そんなことを考えて、赤川次郎の本を読んで過ごす。 夜も更けて、緊張感も無く、熟睡。 明日、本当に出産するのだろうか?なんだか、他人事。 |
| 2002.May.14 (分娩まで) 3:00〜夢うつつの私に、忍び寄る魔の手。気配を感じて、目を覚ますと、薬とゴム手袋を持った助産 婦が、目に入った。 あぁ、内診と薬の時間だ・・・・。そして、またグリグリと恐怖の内診。 この痛みは半端じゃない。(泣) だからぁ、逃げるなっていうほうが、無理なんだよ。 今度の痛みは強烈で、終わった後に出血。 この時点で、子宮口は3cm開いていた。 そして、今まで何ともなかったのに、生理痛のような痛みが出現。これは2回目の薬を入れた とかっていう問題ではなくって、絶対に内診のせいだ!と、思わずにはいられない。 いやぁ、絶対に内診のせいだね。 余計なことをしやがって・・・ムカムカ。 洗面を済ませ、「眉毛かこうかなぁ〜、あとでもいいかぁ。分娩前には書かないと、写真撮る からね。」と、思いつつ、また眠りへと・・・・・ かなり図太い神経の持ち主であるということに、私も初めて気がついた。 6:00〜「Good morning!」またまた、眠りを覚ます、軽快な声。「今度は、何しに来たのさ!!」と 言いたいところを、ぐっと抑えて、ご挨拶。 次に私に与えられたメニューは、その名も‘浣腸’! 看護技術のオンパレードである。 まぁ、やられるとは思っていたので、助産婦について、処置 室へ移動。 浣腸の種類は、石鹸、量は500ml。大量だ。 ジュースなら嬉しいが、下から入れられるその量は、嬉しいわけがない。 まだ若いから、大丈夫?だと思うが、年寄りならば入れるうちから、大爆発だ。 浣腸は学生のときの実習で、生徒同士お互いに経験させられた依頼である。 (迷惑な実習だったが、ずるをしたので、全量を入れたわけではない) 浣腸どころか、座薬だって、もう20年以上使ったことが無いのだ。 お尻はものを出す場所であって、ものを入れる場所ではないという私の理念に、反している。 ベッドの上に横になり、足を曲げて、浣腸の態勢完了。 「お口で、息をゆっくりしてくださいね」。そんなことを言っていた、自分を思い出す。 鼻で息していたって、同じなんだよ!! 「いったぁ〜〜〜〜い、いててて・・・・」、ちょっとぉ〜〜〜!!あんたチューブの先に、 ゼリーかオイルくらい塗ってよね!!あれは、絶対に塗っていないね。 すべりが悪くて、グイグイ入れるものだから、痛いなんてものじゃない。 私のお尻をいじめないで〜。(>_<) 肛門が、中に捲くれ込んでいくのではないか?というような瞬間だった。 浣腸の成果は、ご想像にお任せいたします・・・ 8:00〜浣腸のせいなんだか、これが陣痛というやつなんだか、昨夜の内診から生理痛のような 痛みは続いている。こんなときは、寝てしまえ。←まだ、寝る気・・・ ということで、また眠りの世界へ入り込んでいたら、朝からハイテンションなゴリラの声。 今日も元気に、黒光りしている。 朝っぱらから、「ローフィッシュは、食べたか?」などとぬかし 、「子供の名前は、横綱にしろ」という。食べてやるから、ローフィッシュをもってこい! そんなたわいもない会話をしていたら、やつはゴム手袋をはめだした・・・・ まただ!! 「痛いよぅ〜〜〜〜〜」(大泣き) 初めて、ゴリラに私の大事な部分を見られてしまった。今まで、見なかったというのも、結構 不思議だけどね・・・・。 まぁ、見りゃぁいいってものでもあるまい。 私も見せたいわけではないし・・・ この時点で、子宮口は5cm開いていた。 ここまで開くのに、生理痛程度の痛みで、済んだ なんて、ラッキーかもしれない。しかも、いっぱい寝てるし。(緊張感が足りないとも、言う) 8:05〜内診の痛みに、もがき苦しんでいる私に、今度は点滴が開始された。 なんの断りも無く、 手の甲に針が刺される。 そんな皮の薄い痛い場所に、刺さなくっても、私の血管は浮き出て るっつ−の!!表面麻酔のテープを貼る間もなく、これまた痛いが、内診に比べたら、たいし たことはない。 「この点滴を始めたら、どれくらいで生まれるの?」、ゴリラに質問。 「8:40には、生まれるよ」 うっそだぁ〜〜〜。 またいつもの冗談かぁ?まだまだ、元気な私には信じられない。 すると、点滴が始まって、3分もたたないうちに、なんだか腹がすごく痛くなってきた。 「まじ?」 まさかぁ〜〜〜・・・ 助産婦達は、私の周りで、片づけをしている。 「ゴリラが内診したから、痛くなったんだ。くっそぉ〜。ゴリラのやつめ」と、思っていたが、その痛 みは急増悪。 助産婦に聞くと、点滴のせいだという。 こんなに早く、効くものなの??? 「いたいよぉ、いたいよぉ、いってぇ〜〜〜〜〜〜〜!!」 何?何なの?この痛みは・・・・・明らかに下痢や尿管結石の痛みとは違う、強烈な痛みが、痛 みに人一倍苦手な私を襲う。 こういうときは、腹式呼吸だ。 確か本にそう書いてあったぞ。 ハァ〜〜、ハァ〜〜。 そんなことしたって、痛いものは痛い。 こうなっては、もう不安で、誰かそばにいてくれなくちゃだめだと思い、家に電話してと、 近くにいた学生に頼む。 朝早く来るといっていたのに、8時を過ぎても、まだ来ない彼とママが 憎たらしい。 こういうときこそ、そばにいろよ。 「痛いよぉ、痛いよぉ・・・」 と、うなっていると、なんだ??破水?それとも、内診のせいで出血? 何でも、内診のせいにしてしまう。 人のせいにしないと、やっていられない。 あら?誰か呼んだ方がいいのかな??そして、すっごく痛くなってきたんじゃない? ナースコールを痛みに耐えながら、押すが、なかなか誰も来てくれない。 (後で気がついたのだが、押し方を間違えていたのだ・・・・) 助産婦と学生がやっと来て、破水のことを伝えると、急に今度は、うんこが出そうな(言葉が 悪くて、ごめんなさい。でも、まさにそんな感じなんだもん) 感じになる。 これが、いきみというやつか。 へぇ、自然といきみたくなるものなんだ。 感心している場合か! 「でるぅ〜〜、でるぅ〜〜〜、がまんできな〜〜〜い!!」 大騒ぎする私。 「我慢できない」って、英語でなんていえば良いんだっけ?? とっさに出る日本語では、誰もわかってくれないし・・・・頭の中は、意外にも冷静だ。 助産婦達も、「準備、準備」と、こんなに早く、その時が訪れたことに、結構焦り気味。 なんだかわからないが、「coming,coming!!」と、叫ぶ私を乗せたベッドは、分娩室へ走りゆ く。 8:10〜分娩室到着。 すでにいきみが始まっている私に、分娩台に移れという。 鬼だ。 やっとの思 いで、分娩台へ移動。 すぐに足を固定されるのかと思ったら、そうではなく、そのまま足を 開いて、「push, push」と言われる。 数分おきにやってくるいきみで、私も頑張るが、なにぶん 日本のベッドみたいに、頭の辺りにつかまって、「う〜〜〜〜〜〜〜〜っ」と、テレビドラマみた いに出来ないのだ。 つかまる場所がない・・・・痛いときには、何かにしがみ付きたいのに、何 もないじゃないか〜〜。 私の手は、宙をさまよい、ベッドの脇にある点滴のスタンドを発見。 こりゃぁいい!と、思う余裕もなかったが、わらをもつかみたいと言うのは、このことだ。そんな 私の大事な点滴スタンドも、途中叫びすぎて、喉がからからになった為、水を持ってきてもらい、 飲んだときに(これまた、ずいぶんな余裕といわれそうだが、喉がくっつくほどの口渇だったの)、 遠くに押しやられてしまった・・・・。 何かにつかまりたいんだよぅ〜〜。 私の訴えに、自分の足をつかんで、いきみとともに開くように、助産婦達は言う。 手くらい貸してくれたって、いいじゃないか。 それどころか、私がいきみと格闘していると、またもや初体験。 今度はおしっこを出すための 尿管カテーテルが挿入された。 確かに、痛かったが、もっとすごい痛みを抱えている私にとって 蚊に刺されたくらいの程度の痛みでしかなかった。 女だしね。 (男の人は、尿道が長いので もっと痛いのだ。) 「きた、きた、きたぁ〜〜、う〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ」 そんなことを何回も、繰り 返す。赤ちゃんの頭は、もう見えているらしい。 私には、三途の川が見えそうだ。 普段は、たいした英語もわからないくせに、こういうときは殺気で、何をされるかがわかっ てしまうようだ。メディカル用語の英語なんて、全くわからないというのに、‘会陰切開’(あそこ のカットね)が、必要だというようなことを言っているのが、わかった。「あぁ、とうとう切られる・・・」 学生のときに分娩に立会い、一番衝撃的だったのが、そのシーンである。 医者がはさみを用 いて、産婦さんのあそこを切ったときの、音は今でも忘れられない。 「ジョギッ!!」 なんか分厚い座布団を切ったような音だった。 (そんなことしたことは無いけど・・・・・例えね、例え!) 出産経験のある友達に、「切られた?」って聞いても、陣痛が辛くって、それどころじゃなかった と、みんな言う。 私は準備しているのも、わかっているじゃないかぁ〜。これから、切られるよぉ。 そんな恐怖に怯えながら、いきみが来るたびに、「う〜〜〜〜〜〜っ」と頑張る。 助産婦が、「good girl」などと、子供を誉めるように優しく、声をかけてくれる。 31歳にむかって girlは、無いだろうと思うが、それどころではない。 ゴリラが、入室してきた。私の大事な部分に、麻酔の注射が刺される。 あぁ、そんなに痛くは無い。 そして、いよいよ・・・・ 見えはしないが、実況中継が出来るくらい に、何をされるかがわかる。 「ジョギッ!」という音は、しなかった。切られているのは、わかった けど、痛くも無かった。 (ほっ・・・) さて、これで雑念は消えた。いきみましょう! 通り道が広くなったけど、あたまでっかちなのか、出て気やしない。 これまた、英語で何て言うのかしらないが、どうやら吸引が必要だというような話をしているよう な気がした。 そして、赤ちゃんの頭に吸引機を取り付ける。 「頭が伸びて出てくるなぁ」、そん なことを思いながら、また「う〜〜〜〜〜〜っ」。 「あたまがでた!!」 誰も何も言ってくれないが、頭が出たらいきんじゃいけない。 裂けちゃう、裂けちゃうって、本に書いてあったぞ! 「はっはっっはっ」 短息呼吸に切り替える。 私って、優等生じゃないのぉ? 8:40〜そのとたん、「にゅる〜〜〜〜〜ん」という感触。 「はぁ〜〜〜〜、出たんだぁ〜〜」と、目を開けると、ママが来ていた。 ここは、分娩室に出入り 自由なのか?ママは人のまたぐらを覗き込み、「どっちだ?どっちだ?」と騒いでいる。自分の 親だけど、そんなところまで見られたのは、初めてだ。 「女の子だぁ〜〜〜!!」 「よかったぁ〜〜〜、でかした!」 念願の女の子だ!! こんなことならば、ピンクのものを買えばよかたよぅ〜〜。 唇裂は無い?指は5本ある?五体満足?色んなことが気になるが、そんなことよりも、泣き声が 聞こえないぞ。 赤ちゃんは気管カテーテルを通され、私が胎盤を排出するころ、泣き声が聞こ え、彼がやっと入室して来た。まだ、股を広げている私を背に、ビデオ撮影会が開催される。 お願いだから、私を股の方からだけは、映さないでね。 「はっ!眉毛をかいていなかった!!」、時すでに遅しであった。人生の大イベントのビデオ 撮影に、眉毛なしでうつってしまった・・・一生の不覚だ。 初めて我が子と対面した彼は、顔をこわばらせていた。 母子とともに、問題なく、出産を終え て、ほっとしたのだろう。 今来たばかりだというのに、かなり疲れている。 私のほうが、疲れてるわい。 「大丈夫?」の声かけに、私の第一声は「死ぬかと思った・・・もう、いらな〜〜い」 (笑) 後から聞いたところ、入室する前に助産婦に、「Are you ready to see?」と聞かれ、彼はため らい、「ちょっとまって・・・」といい、笑われたらしい。 そのため、ママだけが先に入室してきたという。 (新米パパは、臆病者だった・・・・) 切った場所の縫合を終え、ダチョウの乗っても、サファリへ行っても、無事に10ヶ月間お腹の 中で暴れつづけていた赤ちゃんと対面。 「うわぁ〜〜〜、ちいさ〜〜い。そして、彼に似ている・・・」 感動というよりも、なんだか驚きだった。 自分がこの子を産んだなんて。 しかし、そんなことよりも、この数十分の出来事が、頭から離れず、私は興奮状態。 もう、絶対に こんな痛いのは嫌だ。 辛すぎる。 歯を抜くのよりも、めっぱの切開をするのよりも、何よりも痛く て、辛い出来事だった。 (40分という、超安産なのに・・・) あんな陣痛の痛みが、何時間も続 いたら、私は間違いなく、三途の川を渡るだろう。 友達で、分娩室から、「もう一人くらいはいける」と、言いながら出てきた人がいるが、 信じられない。 あぁ、おそろしや。 40分の出来事に驚くママには、「あんたは昔から、ちょっとしか頑張らない女だねぇ。」と 言われるが、私は私なりに、短時間の間に人の数倍頑張っている・・・つもりだ。 持続力よりも、瞬発力なのである。(どうかな?) 分娩台で休憩をしているときに、先ほど彼が撮影したビデオを鑑賞。 赤ちゃんが、医者や助産婦の手によって、色々処置をされている。 あぁ、これが我が子かぁ。 やっと感慨深いものがわいてきて、涙が出てきた。 無事に生まれてきてくれて、ありがとう。 しかし、あの痛みは強烈だった・・・・ *OUR BABY* 2002年5月14日 8:40AM (日本時間14:40PM) 誕生 体重3010g 身長49cm 元気な女の子。 |
| 2002.May.14 (分娩後) 分娩台で休んだ後、座って排尿をしろと、ベッドの上に差し込む便器をお尻の下に入れられた。 水の音を聞いたら、排尿したくなるという安易な考えで、洗面台の蛇口もひねられ、軽快に水が流れ る。今私の家は、水不足が問題になっている。 流す水があるのなら、うちにくれ。 そんなことをした って、おしっこなんて出ないよ。 さっき、あんたがカテーテルで、きれいさっぱりと出したじゃん。 それよりも、出血の方がすごい。 ノーマルだとは言うが、これは想像していなかった。 お腹を押さ れると、ジャブジャブ血が出てくる感触が・・・・このまま、出血多量? 意外にも、気弱になる。 そして、ベッドはマタニティの病棟へ。 彼はベッドで、搬送される私の姿まで、ビデオに収めていた。 まぁ、貴重な体験ではある。 ベッドは所定の位置に収められ、朝ご飯のあたっていない私に、ミルクティーと小さなケーキが やってきた。少しでも動くと、出血の感触。 しかし、大仕事を終えてきて、空腹だし、叫んだせいなの か、喉が痛い・・・なんとしてでも、食べたい!! しかしまぁ、横になったまま、食べるのって、結構大変。 入院してみて初めて患者さんの気持ち を理解した気がする。 上を向いて寝ていたら、腰は痛いし、横を向けば、出血するし。 来る人たちに 「こんなに出血して、大丈夫?」と聞くが、やはりノーマルだという。 ママがいようと、彼がいようと 平気でナプキンを交換してくれる学生達。 私は平気じゃないんですけど・・・・いくら出産後でも 恥ずかしいという言葉くらいは、まだ存在している。 もう少し、配慮してくれてもいいのになぁ。 それより、ママや彼が配慮して、カーテンの外に出ていけってな。 麻酔が切れてくると、縫合した部分が、ぴりぴりと痛み出した。たいした痛みではないが、鎮痛剤 を使ったほうがいいのかなぁ?と思っていたら、「痛み止めですよ〜」と、調度良く助産婦がやってき た。ゴリラは、飲み薬だと言ったのに、彼女の手に握られていたのは、その名も‘座薬’。 これ以上私のお尻をいじめようって言うのか!浣腸は今朝したが、座薬はもう二十年以上つかった ことがないんだよぅ〜。 そんなもの使うくらいなら、我慢してやろうじゃないか。「座薬なら、いらな い」。わがままな、元看護婦である。 夜はたっぷり睡眠を取ったし、40分しか頑張っていないし、そして何より興奮状態で、眠くもない。 そうだ、お腹は一体どうなったんだろう? 今までパンパンになっていたお腹を見てみよう! 何ヶ月ぶりかに、再び現れたへそ、そして、伸びきった腹の皮。 見るんじゃなかった・・・・ これから、このお腹をどうしたらよいものか。 これからの私に与えられた大きな課題である。 Lunch Time♪ランチも終え、出血も落ち着いてきた。余裕の出てきた私は、赤ちゃんのことが気になる。 それまでは、自分のことでてぇ〜〜〜いっぱいさ。 その辺にいた助産婦に、まだ我が子に対面できないのか聞くと、歩いて見に行ったらよいという。 寝たきり老人のような私に、なんて優しいお言葉。 そういやトイレにも、行っていないなぁ。 尿意はないが、膀胱にたまっているような気もする。 仕方がない、我が子に会う為だ。 歩いて やろうじゃないか。その前にトイレ、トイレ。 縫合した場所にしみたりしないのか? 2次恐怖である。 やっとの思いで起き上がり、ひょこら、ひょこらと、人間とは思えないような歩き方の私を、ママが 笑う。 全身麻酔で開腹手術をした患者さんに、翌日、回復に向けて、歩いたほうが良いと歩か せていた私は、結構鬼だったのだなぁと思い出す。 初めての排尿は、縫合部にしみることもなく、 終了。洗面も済ませるが、鏡を見て、自分の顔の汚さに驚く。首やあごのあたり、目の周りに、 内出血斑が出現。ずいぶん顔に力を入れて、頑張ったんだなぁ〜。ちゅうことは、ビデオも写真も こきたなぁ〜い顔で映ってるということか・・・・ First time to hold my baby ![]() 早速、新生児室へ直行。 外国人はただ一人なので、児の取り違えがあることもなく、一番 猿っぽい、のっぺら−とした赤ちゃんがやってきた。 「かわい〜〜〜」と言いたいが、吸引のせいで頭はいびつで、なんだか‘小泣きじじい’みた いだ・・・・そして、見れば見るほど、彼女の顔の中に私は見出せない。 目も口も、全部彼だ。 唯一、大きな耳たぶが私ゆずりかも。 なんとも、純日本風のさっぱりした顔立ちで、‘うめ’とか‘きく’と言うような名前が、似合いそうで ある。モーむすには、絶対にいれてもらえない。それでも、我が子。 眺めていると、やはり感慨深いものがわいてくる。 「ぶさいくでも、かわいいかも!いい子に育ついいなぁ〜」、どこの親も我が子が生まれたときは、 幸せな気持ちでそう思うのだろう。 それで、不良になったり、とんでもない子に育ってしまったら、 本当にやるせないなぁと思った。 夕方、仕事を終えた彼が戻ってきた。「可愛くない顔してるなぁ〜〜」、赤ちゃんを見ての感想だ。 一体、誰に似てると思ってるのだろう?まわりの誰もが、彼に似てると声をそろえて言うのに・・・・ 彼の35年の人生の中で、周りに赤ちゃんがいたことはなく、初めて抱っこをする。「すっげぇ〜〜」 何が、すごいのか不明だが、緊張している。少し、父性は芽生えたのかな??早速、観察が始ま った。赤ちゃんを、上から、下から、斜めから、見まくっている。 このとき、彼女が今後彼のおもちゃになることを、私はまだ気がついていなかった。 みんなが帰った後は、私の興奮状態も低下し、人生最大のイベントを負えた疲労感の中、深い眠 りに吸い込まれていった。 なが〜〜〜い1日だった。 |
| 2002.May.15 (分娩後1日目) 6:00〜まだ薄暗いって言うのに、軽快に起こされる。どこの病院も、この時間が起床時間か。 死んだように眠ったが、夜中に隣に人が入ったのは知っている。ずいぶんわがままな人で ベッドからベッドへ移ることを促されたときも、「出来ない、出来ない」の一点張りで、助産婦に 「誰もあなたを持ち上げられないわ」と、言われていたのを覚えている。 そりゃぁそうだ、周りのケニア人ママたちは、私の3倍はありそうな体格で、彼は「肩から足が 生えてる」と言い、アグネスは「もんちゃっくみたいに、小さい人はいない」と言う。 みんな出産後でありながら、まだお腹の中に三つ子を隠し持っていそうなくらいなのだ。 私の、お腹なんて、まだ可愛いものだ。(そうだ!そうだぁ〜!!) 検温を終えると、朝の紅茶がやってきた。まぁ、朝から贅沢だわと思いながら、一息つき、 さぁ、頑張って、トイレと洗面にでも行くか。病気じゃないので、回復は早い。 昨日よりも、比較的普通に歩ける。出血もかなり減っている。 7:30〜パンとシリアル、スクランブルエッグ、ウィンナー、ヨーグルト、そして紅茶が運ばれてきた。 朝から大量だなぁと思いながらも、全量摂取。 何もしていないのに、腹は減る。 食事も終わりかけたころ、ゴリラがやってきた。 「ローフィッシュは無いのか?」 こやつも なかなかしつこいやつだ。 一応回診というやつで、私の子宮の戻り具合を見て、おっぱいをつまみ、私を叫ばして、 去って行った。そのあとは、小児科のドクターの回診。ゴリラとは同じ部族らしいが、ゴリラで はなく、あえて言うならば、カッパである。要は、ハゲ。 でも、紳士的なドクターで、Babyはとても元気だと。 座っていても、お尻が痛いので横になると、眠ってしまう。 9:00〜学生が「シャワーに入る用意をしましょうか?」とやってきた。縫合した部分は抜糸をしない代 わりに、毎日浴槽に4分の1のお湯を張って、塩を一握り入れて、5分から10分間浸かると、自 然に、糸が取れるという。へぇ〜〜、ほんとかいな? だけど、これを1日に3回もするなんて、面倒だなぁ・・・ シャワーに入っても、縫合部にしみないのかな?いつもお馴染みの不安である。 まぁ、しみることも無く、こぎれいになって、縫合部に抗生物質の軟膏を塗布。 シャワー室の鏡に映った自分の姿には、目を見張るものがあった。まだ、お腹が妊娠6ヶ月 位じゃないか!!これ本当に元に戻るんだよね?? 10:00〜シャワーも浴びて、気持ちよくなったの、またベッドの上でだらだらとする。 血圧測定を終えると、また紅茶と小さなケーキがやってきた。ティータイムである。 出されたものは食べておこう。今から、ダイエットはしなくても良いだろう。しかし、なんとも 贅沢な話だ。まだ午前中だというのに、朝から3回目のお茶。こりゃぁ、日本の病院よりも、い いかもしれない。我ながら、単純だ。 赤ちゃんでも見に行こうかなぁと思いつつ、また眠ってしまった。母は疲れているのだ。 12:00〜ランチタイムだ。朝から、食べたり飲んだりしてるだけ。スープ、野菜、メインディッシュの魚 とデザート。あんまり美味しいものではない。 かつて、この病院に入院したことのある協力隊員の人は、ここの食事を絶賛していたが、そ れは協力隊員だから、絶賛できる食事なのだと思った。 13:00〜さて、我が子でも見てくるか。私が会いに行かなければ、一生新生児室にいるのか?と、 思うくらいに、誰も「授乳時間だよ」、「沐浴の時間だよ」と、言いに来てはくれないようだ。 ベッドサイドに、Babyを連れてくる。いびつな頭は、だいぶん治ったようだが、まだ両目がは れぼったく、二重なのか奥二重なのかの確認が出来ない。 せっかく対面した我が子は、眠っているだけで、全く起きやしない。もぞもぞと動いてるだけ で、時々自分の手を吸っている。お腹すいてきたのかなぁ?でも、私のおっぱいは張って こないなぁ。 Bed sideおむつが濡れたようだが、それでも起きない。仕方が無いので、新生児室へ行くと、また学 生が全部やってくれる。こりゃぁ、楽でいいと思うが、これからのことを考えると、自分でやった ほうがいいんだろうなぁ〜。でも、日本は長方形のおむつ、ケニアは三角おむつ、赤ちゃんは 布でぐるぐる巻き。かってが、違うのだ。 Babyが起きたついでに、母乳をあげてみたら?と言われる。でるのかなぁ??? 早速、トライ。でも、5回くらい吸ったら、すぐに泣き出してしまった。 出ないからなんだろうなぁ〜。や〜めたぁ。(諦めも、早い) 助産婦に授乳を依頼する。 しかし、おっぱいを吸われるのって、聞いてはいたが、すごく痛くて びっくりした!思わず、乳首が取れていないか、確認したくらいだ。(大袈裟) こんなの何十分 も何回もやっていたら、血が出ると思われる。痛いことばっかりだ・・・・・ 15:00〜また紅茶とケーキの時間。そして、また全量摂取。 こんな生活を続けていたら、太ってしまう。 そして、塩水の臀部浴の時間。結構、忙しくない? 16:00〜面会時間とともに、病棟の外で待機していた、ママとアグネスが入ってくる。せっかくの孫と の対面なのに、またBabyは眠ってしまった。まぁ、起きていても、眠ってるのだか起きている のだか、よくわからない、目の小ささなので、あまり変わりは無い。 生まれたばかりだからだとは思うが、ぐずらないし、静かないい子である。このまま続けばい いのになぁ〜。 ![]() Baby's pajama In the nursery 18:00〜また、食べるのか?と言いたいが、夕食の時間である。ママが差し入れのパスタを持ってき てくれたので、それを食べる。食後は、抗生物質と痛み止めの薬を飲む。まだ、時々縫合部分 が痛むが、行動はスムーズになってきたし、日本のような円座は無いけど、座っていることも できる。 19:30〜みんなが帰った後、夜勤の助産婦がやってくる。 「調子はどう?」 「母乳はあげてみた?」 そんな事を聞かれる。 「母乳は出ないみたいだよ」 「見せて」。おっぱいを出すと、また搾られた。 「いたいってぇ〜〜〜〜」 「ミルクでてるよ。」 あら、ほんとだ。黄色い初乳というやつが、出ている。 寝る前に、また母乳をやってみようと言うことになった。入院日数も短いのだし、少しでも慣れて 帰らなくちゃね。3日間の入院と言われていたので、彼もアグネスもみんな私が、明日帰ると 思っているのだ。こっちが退院を切り出さなければ、病院は儲けのために、私をいつまでも 入院させるはずだという、フランシスの考えに基づいて、明日は絶対に退院だ!と、意気込んで 帰っていった・・・・。確かに病人ではないけど、まだ帰るのは不安なのに。そんな気持ちを誰も、 汲み取っちゃくれない。今日で、3日目だけど、私の場合出産の前日から、入院しているから、 その分は、別に考えてくれてもいいのになぁと思う。しかし、日帰り出産が当たり前のケニア人と 頭の中はケニア人である彼にそんなことを言っても、わかるまい。 日本は5日間も入院なのになぁ・・・・ 20:30〜またまた、塩水の時間。もう、手慣れたものである。シャワー室から戻ると、助産婦がナース ステーショの前に、飲み物とケーキを用意してあるから、ミルクをいっぱい出すために、飲むよう に言って来た。私も素直に取りに行く。本日、5回目のティータイムだ。今度は、ココアやホット チョコレーもある。一番甘いホットチョコレートと、ケーキもしっかり手に持ち、ベッドへ戻る。 いいのだろうか?こんなに食べていて・・・・・これも、母乳のためだ!そういうことにしよう。 21:30〜Babyに母乳を与えてみようと言うことで、Babyが起きたので助産婦が私を呼びに来た。 おぉ、やっと私の出番か。はりきって、新生児室へ足を運ぶ。抱っこして、教えられたとおりに、 Babyの口元に乳首を運ぶ、「チュ−チュ−」 「いててて・・・・」 でも、我慢だ。 と、思ったが、また5回くらい吸って吐き出してしまう。出ないのかな?反対側にチャレンジだ。 今度は、口に入れようとしただけで、火がついたように泣き出す。出ないって、わかったからな んだろうなぁ。「ちょっとしか吸わなかった。出ないからだね。」と、報告して、また助産婦に授乳を 依頼する。おやすみなさ〜い、私のBaby。 いっぱい粉ミルクを飲めよ。 |
| 2002.May.16 (分娩後2日目) 前日と同じように、塩水に浸かること3回、朝から晩まで紅茶を飲みつづけ、優雅な私の入院生 活は続いていく。体のほうの回復も、順調極まりなく、31歳でも結構いけるなぁと言う感じだ。 はっと気がつけば、もう普通に歩いていたし、小走りも少しながらできる。ただ、紅茶でむせたときと くしゃみが出たときには、縫合部が破けるのではないかと、ひやひやした・・・・咳やくしゃみって、 結構、会陰部に力が加わるもの何だなぁと、初めて知る。次の恐怖は、トイレの大きいほうだと思う が、妊娠中あれだけ、軽快に出ていたのに、腸を圧迫するものが無くなったとたんに、出なくなっ た。私にとって、妊娠は便秘解消の良い薬だったのかもしれない。 あと避けては通れないだろうと思っていた、痔にもなっていないようで、安心安心。 ホント、順調だ。 普段の行いが、よかったとしか言いようが無いね。(自我自賛) 退院については、私が退院の話を切り出す前に、ゴリラが「明日退院だね」と言い出した。 こりゃぁ、ラッキー。この快適な生活が、もう1日続けられる。今日帰るなんて、無謀なんだよ。 まだ、授乳だってちゃんと出来ていないし、沐浴だってやっていない。ちゃんと、覚えて帰るように ゴリラにも言われる。 母乳のことも聞かれ、「あんまりでないみたい」との私の返答に、また搾られた。痛いのに・・・・ そうしたら、「ミルクがたくさんたまってる」と、言われた。どうやら、おっぱいが張ってるらしい。 自分のおっぱいの張りにも、気がつかない、私ってかなり鈍感と言うか・・・・あほ? 親には呆れられる。 早速新生児室へ向かい、沐浴だ!と思うが、もう終わっていた。やらせろよなぁ〜〜〜。 それならば、授乳だ。またまた、トライ。しかし、ミルクは出るというのに、Babyは5回くらい吸うと また泣きながら、吐き出してしまう。なんでえぇ〜〜〜〜〜〜???どうやら、私の乳首が嫌いな 様子。もっと妊娠中に、乳首を引っ張ったり、おっぱいマッサージを頑張るべきだった? だけど、そんなに嫌がらなくたってねぇ・・・・・困ったね、これからどうなるの? 助産婦達は、「赤ちゃんも、初めてのことだから、これから慣れるわよ」と、励ましてくれる。 授乳がうまくいってるママたちを横目で見ながら、私は我が子を泣かしているのだ。 また助産婦に授乳の依頼。哺乳瓶でチュ−チュート軽快にミルクを吸うのを想像していたが なんとBabyに与えられたミルクは、薬を入れておくような小さなカップに入った45ccのミルクだっ た。それをゆっくり飲ますのだが、ほとんどこぼれてるやんか!!たった45ccだけど、口に入って るのは、一体何ccになるのだろう? しかも聞くところによると、最後の授乳から、もう5時間くらい たっている。この子が寝ているのは、腹が減って泣くく元気も無いのではないか? やばい、このままでは飢え死にしてしまう。生まれて数日後に、飢餓だ。 自分のベッドへ戻って、ママに報告。ママもびっくり。早く、連れて帰らなくちゃ! カップでのます理由は、HIVの多い国であり、哺乳瓶の使いまわしは、不潔であること、カップの 方が洗いやすいこと、母乳確立のため哺乳瓶に慣れないようにするためとのこと。 理由はごもっともであるが、人口ミルクでもかまわないから、腹いっぱい飲ませてあげてよぅ。 Feeding milk by student夜が更けるに連れて、吸ってもらえない私のおっぱいは、行き場所のないミルクでパンパンに なって来た。「寝る前に搾乳した方がいいわね」そう言われ、また新生児室へ。でも、搾る前に 少しでも、子供に慣れさせようと言うことで、Babyに無理やり飲ませる。こいつもなかなか頑固者 で、本当に私の乳首は吸いたくないらしい。「嫌だよぉ〜〜〜」と言わんばかりに、泣き叫びだし た。そりゃぁないぜ、私のミルクを飲まないから、45cc足らずのミルクを5時間おきくらいにしかも らえないんだよ。こっちまで、泣きたくなってくる。今、搾ってやるから、待ってろ〜。 でも、どうやって搾るの?ちょっと、教えてよね! そりゃぁ、年はくってるけど、初産なんだからさぁ。(でも、他のママたちに、私は10代だと思われ ていた・・・・そして、うちの50代のママは、20代といわれ、かなり気を良くしていた。ケニア人が 老け過ぎなんだよ!) 教えられたように、温タオルで暖めながら、、乳搾り。なかなかうまくいかず、1時間くらいかけて 出した50ccくらいをBabyは、3分で飲んでしまう。大仕事だ。「また夜中にするね」 少しおっぱい の張りも落ち着いたので、一休み。これが、まずった・・・ 「おっぱいが、かちかちだ!!」(゜ロ゜) と、慌てて起きた2時間後、私のおっぱいは漬物石のように、硬くなってしまっていた。 「やばいんでない??」 慌てて、乳搾りへ行く。私は一体何者だ?夜な夜な乳搾り。これは、想像していなかった。 でも、カチカチになった乳はなかなかでてきやしない。2時間くらい格闘したが、注射を勧められ た。おっぱいが出てくる注射だと言う。とりあえず、聞かなくちゃいけないのは、「どこにする注射」 ハァ・・・・お尻を指さした。筋肉注射か・・・痛いんだよなぁ。でもこのままほおって置いて、おっぱい を切開しなければなら無い状態になった方が、一大事だ。そこは私も諦めて、お尻に1本打たれ て、眠ることにした。そして、朝一番に家に電話して、搾乳機を買ってきてもらおう。 |
| 2002.May.17 (分娩後3日目〜退院まで) 朝も6時から、注射の成果を見るために、乳を搾る。さっきよりは、出るような気がするが、いくら 搾っても、漬物石のままだ。 「今日、退院できるのだろうか??」 できることなら、帰りたくないが・・・ ゴリラがやってきたときに、搾乳機の効果を見て、夕方くらいまで入るようにと言われる。 そして、Babyも黄疸が出始めた。その値を見なければ、帰れないと言う。退院は夕方だと言うの に、彼もアグネスもママも午前中からやってくる。 午前中からやってくるのは、搾乳機だけで良かったのに・・・ 私は朝から、乳搾りに、塩水に、そして沐浴と大忙しだ。 昨日は、3時間くらいしか、眠っていないのに・・・ みんなが待っていると思うと、なんだか落ち着かない。最後くらい、ゆっくりして、色んな不安を 解消したいというのに・・・・イライラ。 肝心の搾乳機の方は、手で搾るよりはとっても楽だけど、カチカチになってしまった私のおっぱ いは搾るだけでは、駄目みたい。 親日家の助産婦が、温タオルでマッサージの仕方を教えてくれる。 そして、また注射・・・・最後まで、痛いことばかり。子供を育てるって、大変だぁ。 分娩後3日目にして学習した。 ばたばたして、助産婦達にもばたばたさせて、結局おっぱいはかちかちのまま、退院の運び となった。今の私には、子供のことよりも、切開されたら大変だ!というおっぱいのことで、頭の 中がいっぱいである。もう痛いのはいやだよぅ〜〜〜。 With Dr.Omondi (Gorilla!) Babyは、今朝から右目に内出血斑が出現。今まで、腫れていたので、表面化していなかった のだと思う。片目だけ、パンダみたいでなんだか可愛そう。 それとも、あざ?それならば、生下来からあるよなぁ〜〜。それも、新たな不安の種である。 これから、自宅でどうなるのだろう・・・。がんばらなくちゃ!! New Familiy |